所用の合間に、牛久沼へ
風もあったせいか、残念ながら、目新しい鳥は見つかりません。ベニマシコを捜しに来たかたもいたのですが、空振りだったようです。
【観察した鳥たち】 23種+(番外1)
ヒドリガモ、マガモ、カルガモ、コガモ、カイツブリ、カンムリカイツブリ、キジバト、カワウ、アオサギ、コサギ、オオバン、ユリカモメ、セグロカモメ、トビ、ノスリ、カワセミ、モズ、ハシブトガラス、ヒヨドリ、ムクドリ、ツグミ、スズメ、ハクセキレイ、(コブハクチョウ)
所用の合間に、牛久沼へ
風もあったせいか、残念ながら、目新しい鳥は見つかりません。ベニマシコを捜しに来たかたもいたのですが、空振りだったようです。
【観察した鳥たち】 23種+(番外1)
ヒドリガモ、マガモ、カルガモ、コガモ、カイツブリ、カンムリカイツブリ、キジバト、カワウ、アオサギ、コサギ、オオバン、ユリカモメ、セグロカモメ、トビ、ノスリ、カワセミ、モズ、ハシブトガラス、ヒヨドリ、ムクドリ、ツグミ、スズメ、ハクセキレイ、(コブハクチョウ)
所用の帰りの3時過ぎに、洞峰公園に寄ってみました。
池では、オナガガモ、ヒドリガモ、カルガモ、バリケン、アオサギ、カイツブリ、カワセミ。
周辺では、ツグミ、スズメ、シジュウカラ、ジョウビタキ、ビンズイ、ヒヨドリ、ハシブトガラス、ハシボソガラスなど、あまり出ません。
ジョウビタキの♀は可愛かったです。なにか蛾の類をゲットしていました。
1年ぶりに、本埜の白鳥の郷へ
今年は900羽ほどの白鳥が入っているそうです。9時頃についたときにもまだ数百羽残っていました。アメリカコハクチョウは3羽ほど。
初見の亜種ヒシクイと思われる個体(頭が丸く、嘴や首が短く、下嘴が太いなど)も見ることができました。そういえば、稲波干拓地の亜種オオヒシクイも、記録を更新して、120羽を超えているそうです。
さて、房総風土記の丘では、お目当てのルリビタキにも会えました。成鳥♂のようです。
帰り道の田んぼの中では、先日も見たハヤブサがいました。幼鳥のようです。
ヒシクイ、コハクチョウ、アメリカコハクチョウ、オオハクチョウ、マガモ、カルガモ、ハシビロガモ、コガモ、ホシハジロ、カイツブリ、キジバト、カワウ、オオバン、タシギ、セグロカモメ、トビ、チュウヒ、ノスリ、カワセミ、コゲラ、チョウゲンボウ、ハヤブサ、カケス、ハシブトガラス、ヤマガラ、シジュウカラ、ヒヨドリ、エナガ、メジロ、ムクドリ、シロハラ、ツグミ、ルリビタキ、ジョウビタキ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワラヒラ、シメ、アオジ、(コジュケイ)
アメリカヒドリが入っていたとの話があり、昨日(12/19)、ちょっと寄ってみた乙戸沼には、アメリカヒドリは見つかりませんでしたが、ヒドリガモやオナガガモなどのほか、40羽ほどのコハクチョウ、ミコアイサ♂が入っていました。
昨日は、カメラを持っていなかったので、今日(12/20)、再チャレ。残念ながら、コハクチョウは2家族10羽ほどが残っているだけ、ミコアイサも見つかりません。アメリカヒドリは今日もみつかりませんでした。やはり、一期一会ですね。
久しぶりに高崎自然の森に。晴れてはいるのですが、寒い。雲も妖しい。
それでも、ジョウビタキがお出迎え。
林の中の混群に、今年初見のキクイタダキが入っていましたが、相変わらずすばやくて碌な写真が撮れません。
気を取り直して、稲荷川の方に行くと、ノスリが上空を舞っていました。川沿いを歩くと、小鳥たちが一斉に飛び出して、オオタカが狩りをおこなっていました。
草原では、ホオジロが可愛かったです。
帰り道の田んぼでは、キジバトをハヤブサが追いかけていました。
【観察した鳥たち】 28種
カイツブリ、キジバト、アオサギ、オオタカ、ノスリ、コゲラ、ハヤブサ、モズ、カケス、ハシボソガラス、ハシブトガラス、キクイタダキ、ヤマガラ、シジュウカラ、ヒヨドリ、エナガ、メジロ、ムクドリ、シロハラ、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、セグロセキレイ、タヒバリ、カワラヒワ、シメ、ホオジロ、カシラダカ
所用のついでに、龍ヶ岡、乙戸沼などあちこち。
新顔は、タヒバリ、クサシギでした。
ヒドリガモ、マガモ、カルガモ、オナガガモ、カイツブリ、キジバト、カワウ、コサギ、バン、オオバン、クサシギ、コゲラ、ハシボソガラス、シジュウカラ、ヒヨドリ、メジロ、ムクドリ、シロハラ、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、タヒバリ、カワラヒワ、ホオジロ
牛久市新地町の三叉路に、月読尊の石碑がありました。
牛久市史民俗調査報告書Ⅱ「城中・新地、上町・下町の民俗」によると、「弘化新田に入る手前の三叉路には、月読尊の石塔が立てられている。かつては近隣の家々で「サンヤサンの仲間」と称される講中を組み、正月23日にはヤドの床の間にサンヤサンの掛け軸をかけてニジュウサンヤマチ(二十三夜待)が行われていた。」とされている。 旧茎崎町樋ノ沢の月読神社と関係があったようです。
このそばの道沿いに、大正10年11月の道標が立っていました。
右に行くと、小茎、若栗、羽成、谷田部。左に行くと新地を経て牛久、城中となっていました。
旧牛久村は、現在の、城中村、牛久村、田宮村、遠山村、そして、新地村が、町村制施行の際に、合併してできています。
ここには、河童の絵で有名な小川芋銭が暮らしていましたが、大正11年に、地元の城中青年会(矯風会)によって旧牛久村の主要な道沿いに道標をたてる計画があることを知り、永久に耐えられる石柱にするべく寄付をしたため、芋銭の名を刻もうとしたところ、「改善一歩」を提案したという。
現在、7柱が点在しているといいますが、同じ頃なので、その1本なのでしょうか?この道標も裏もよく見てみればよかったのですが、たしか、改善一歩とは刻んでいなかったと思います。
場所の地図 「道標の場所」をダウンロード
鹿島神社 (「稲敷の神々」茨城県神社庁稲敷支部) の稲敷の神社参照
鎮座地:牛久市上太田町475、御祭神:武御雷命(タケミカズチノミコト)、御祀神:天児屋根命(アマノコヤネノミコト)・誉田別命(ホンダワケノミコト)
創 建:大永7年(1528年)9月(部落民、鹿島の大神の神徳を敬仰し、分霊を奉斎して鎮守とす。) 現在の社殿は、寛永8年(1631年)3月造営
例祭 11月19日 以前は、4月15日に、上太田花見囃子(大杉囃子)が行われていたとのこと
○入母屋造りの拝殿 扁額も由緒ありげです。
○小社は弓取八幡宮。御配神の誉田別命(=応神天皇)を祀るものなのでしょうか。一般には、武運の神とされます。
大杉大明神・常陸坊海尊の石祠なかなか興味深いところです。この石祠は、稲敷市阿波の大杉神社に由来するものと思われますが、そのHPでは、常陸坊海存(海尊)について、以下のように説明しています。
『今から800年ほど前、大杉神社では源義経と行動を共にしたこともある常陸坊海存(海尊)が社僧を務めていました。
海存の容貌は特徴的で巨体に紫髭、碧眼、鼻高でありました。海存は不思議な力を持っており、大杉大明神の御神徳によって、病を治し、多くの人々を救い、数々の奇跡を示しました 。 そのことにより「海存は大杉大明神の眷属で、天狗である」との信仰へと発展いたしました。
当初は海存の風貌から烏天狗を御属としておりましたが、後に陰陽一対として鼻高天狗、烏天狗の両天狗を御眷属とすることとなりました。
現在ではいかなる願いも叶えて下さったと伝えられる海存の奇跡に由来して、大杉神社を日本で唯一の「夢むすび大明神」と称し、鼻高天狗は「ねがい天狗」、烏天狗は「かない天狗」と呼ばれるようになりました。』 以前、大杉囃子が行われていたことと合わせて、郷社であった、大杉神社とつながりがあったのかもしれませんね。
○他の石祠 天満宮、天照皇大神宮、羽黒山(下の方は見えません)、石尊大権現(せきそんだいごんげん。大山阿夫利神社の関連と思われる。)
後ろの二つは、江戸時代の信仰なのでしょうか?羽黒山詣りや大山詣りと関係があるかもしれません。
5年前に見たミズネコノオを見に行きました。
前に見た田んぼで捜したのですが、見当たりません。微妙な生育条件なのか、どこでも見られるわけではないので残念でした。近くの畑では、ソバの花が咲いていました。
牛久自然の森では、秋の花が花盛り。オミナエシ、ワレモコウ、ヤクシソウ、サラシナショウマやトリカブトも咲いていました。
鳥たちは、アカゲラ、コゲラ、シジュウカラ、ヒヨドリ、オオタカ、トビ、ハシブトガラス
牛久沼には、まだ、ユリカモメやカモたちは来ていませんでしたが、広場では、ヒバリが鳴いており、ムクドリが集まっていた木にツツドリが飛んできました。
帰り道、近所の電線では、チョウゲンボウ(♀)を見かけました。
5年ぶりに、茨城県南部の湿地に行ってみました。
相変わらず、ヒメナエ、サワトウガラシ、ホシクサ、ヒロハイヌノヒゲ、キカシグサなどなどが見られ、うれしい限りです。
ヒメナエ、サワトウガラシ、ホシクサ、ヒロハイヌノヒゲ、ニッポンイヌノヒゲ、ミズマツバ、キカシグサ、トキンソウ、アゼガヤツリ、ヒナガヤツリ、ヒロハホウキギク、ミゾカクシ
この調子なら、某所のミズネコノオを見ることができるかもしれません。折を見て、行ってみましょう。